ある日突然ガンだった!

私現在30歳代の未婚女性でありますが 世の中が21世紀を迎えたとたんの昨年2001年2月に「食道癌」を宣告されてしまいました。 食道を摘出し胃を食道代行として現在元気に暮らしております。 「癌」という言葉はしょっちゅう耳にしていましたが、まさか自分が「癌」におかされるなんて!! それも、何の前ぶれもなくトツゼンに!!! おまけに食道を摘出するなんて!!! まさにびっくりマーク!!!のオンパレード状態でした。 「ご飯もこれからはろくに食べられないかもしれな〜い」 「普通の人みたいに生活できないかもしれな〜い」 すっかり悲劇のヒロインになっておりました。 がッ!しかし本来の「食いしん坊」というより「ひとなみはずれた食い意地」が幸いして 回りの方々の心配をヨソにただいま「人並み以上の食欲」で元気に生活しております。 今現在病気にかかってる方、まさに手術を受けようとしているかたに少しでも勇気をさしあげる 事ができればとこのページを開設いたしました。何かのお力になることができれば幸いです。 よろしければ是非ご覧ください。
■事のはじまり・・・・
20世紀も終わりを告げようとしているクリスマス前に胃の具合が悪くなり かかりつけの病院(20年以上お世話になっている信頼できる病院です。)に行くことにしました。 普段からよく胃が痛くなってましたが今までバリウム検査しかしたことがありませんでした。 「胃カメラでも飲んでみる?」と先生から言われたのですが普段の私なら「胃カメラはイヤです」と 言っていたと思うのですが何故かこのときは「この際だから飲んでみようかな」と思い胃カメラ検査 の予約をして帰りました。 初めての経験で非常に不安でしたが胃カメラ検査の日がやってきました。 想像以上につらいのなんの・・・・・・・涙がポロポロでてとにかく大変でした。 私としては胃もしくは十二指腸が悪いと思って検査を受けていたのですが胃・十二指腸は異常が なく何故か食道付近で検査の先生が「んっ・・・・・」と言われて「ちょっと細胞とっておきましょう」と 言われました。写真も撮っていただいたのですが確かになんだか食道付近が荒れている様子 でした。「な・な・なんで食道なわけ!!!」と思いましたがとにかく検査結果待ちでした。 そして年末近くに検査結果を聞きにいきましたが結果が「悪性でないとは言えない」と言う非常に 切れ味・後味すっきりしないど〜しようもない検査結果でした。先生も「こんな結果 じゃいやよね」 「1ヶ月ごにもう一度胃カメラ検査しましょう」と言われたので年越し・新年とすっきりしない日々を 過ごすことになりました。家族に「私は癌かもしれない」と言うとこんなに元気な癌患者がいるはず ないと言われましたし体重も増えるばかりで痩せないので私自身も「まさかね」と思っていました。 そして、2001年を迎え再検査の日がやってきました。またまた涙ボロボロのつらい検査でしたが 症状は変化なしと言うことでまた検査の為に細胞をとられました。後日検査結果を先生から聞く ことになるわけですが「やっぱり悪性みたいとにかく大きな病院ですぐに検査をしたほうがいい から、私が手配します。」と言ってくださいました。その3日後に某国立大学の付属病院への 検査入院となりました。
■そして入院・・・・
2月に入ってすぐ、某国立大学付属病院内科に検査入院となりました。 心電図にはじまり胃カメラ検査・その他もろもろ・・・かなり過酷で屈辱的な検査も ありましたが悪いところを徹底的に探してもらおうと思っていましたので結構我慢できました。 おまけに病室が7階の窓際で日当たりが良好で検査がないときなどのんびりお昼寝しておりました。 世間の方々が一生懸命お仕事されているときに申し訳ないと思いながらも快適な入院生活でした。 この時点では先生の口から「癌」という言葉はいっさい出ることはありませんでした。 しかし、朝の回診のときの先生同士の会話の中には「ノー・インフォーム」と言う言葉が出てきて いましたのでやはり癌だなと思っていました。 検査入院も1月近くになる頃に先生からお話があるので家族と一緒に聞いてくださいと言われました。 ある日の夜私・父・妹3人で先生のお話を聞くこととなりました。テレビで見たことがあるような場面 で したがそこまで緊張はしませんでした。病名は「食道癌」と言われたときも「やっぱり・・・・」と言う気持ちで さほど慌てませんでした。どちらかといえば冷静だったと思います。詳しい病状を聞いてその後治療法を 聞いたのですが考えられる方法として「癌に冒されている食道部分を切り取って胃・もしくは腸を食道と して代用する」「癌に冒されている部分を内視鏡等で切り取るしかし、これだと完全には除去できない」と いうことでした。どちらにするかはしばらく考えてから結論を出してくださいとのことでした。 私は初期の癌だということでしたから悪いところをチョチョと取ればいいと簡単に考えていました。 それがいきなり食道を全部取ると言われたものですからかなりの衝撃を受けてしまいました。 今にして思えば何故言ったんだろうと思うのですが先生にむかって「初期の癌で何故食道を全部取る のですか?こんなことなら初期の意味がないじゃないですか!!」「このままほっておいたらいけないの ですか!!!」いきなり叫びだしたもので先生を初め家族たちも驚いていました。先生は諭すように 「食道の癌というのは非常にむずかしい癌で初期であっても簡単な治療ができないのです。」と言われま した。確かに先生のおっしゃることはまともなことで、ここに書いているよりもっと詳しく絵なども加えて 説明していただいているのですが言われた本人にしてみればど〜してもすんなりと受け入れることは できませんでした。とにかく返事はしばらくしてからと言うことで病室に戻ることになりました。 病室に戻る途中、今までの張りつめていた気持ちがプツンと切れて涙がポロポロと流れてきました。 私の頭の中は「これからは、おいしい物が食べられなくなる・・・・・」ということでいっぱいでした。 世間の方から見ると「癌」だと言うことでショックを受けて泣いていると思われるかもしれませんが私は 「癌」より「食べられなくなる」と言うことの方が非常に大きな問題でした。 この夜は何度も看護婦さんが見回りに来てくれました。きっとショックで自殺などしないようにということ でしょうか。しかし立ち直りが早いのも私の良いところと言うか単純な所でして・・・・翌朝はスッキリ サワヤカに目覚めることができました。担当の先生も心配して何度も病室まで足を運んでくれました。 私の質問は「手術後の食事はど〜なるのですか?」「食事の量はどれくらいになるのですか?」 「今までのようにおいしく食べることはできるのですか?」等々「食」に関することばかりでした。 確かに今までのようにたくさん食べることはできなくなりますが全く食べられないわけではありませんとの 返事でしたし、友人も「舌を切り取るわけではないのだから味がわからないわけじゃないし大丈夫よ!」と 励ましてくれました。単純な私は「ソウヨ!ソウダワ!ソウニチガイナイ!」と思えるようになりました。 そうなると、セッカチな私はこうなったらさっさと悪いところを早く切り取ってさっさと退院しよう!!と 思いました。先生に食道を切り取ってもらうようにお願いして外科の先生とお話してとりあえず内科を 退院することとなりました。
■そして入院・・・・・パート2
内科を退院して数日後に第一外科から連絡が入りました。病室が空いたので明後日には入院してほしい とのことでした。私としては内科を退院してしばらくのんびりしてそれからと思っていたもので急な電話で 少々あせってしまいましたが、早いにこしたことはないと早速入院準備に取りかかりました。 第一外科は内科とはずいぶんと雰囲気が違い結構あわただしい感じがするところでした。考えてみれば 外科なので手術をされた方たちがいるわけですからど〜してもバタバタするようです。手術は3月19日と すでに決まっていてそれに向けての検査と準備が始まりました。私の部屋は6人部屋で乳癌の方、胃癌の 方、甲状腺癌などいろんな方が入院されていました。みなさんとても明るく楽しい方ばかりで毎日ここは 本当に病院なのだろうか?と思うぐらいワイワイやっていました。おまけに韓国の方、離島から来られてる 方などがいてお食事の時にキムチあり、お刺身ありで毎日が宴会のようでした。アルコールがないのだけが 残念でしたが・・・・そんなこんなでアッという間に手術前日となってしまいました。手術前日お昼が私にとって 「最後の晩餐」でしてニュースステーションで久米宏さんが各著名人に最後の晩餐には何を食べるか インタビューされているのを良く見ていましたが実際に自分がその立場になると答えは簡単!大好きな麺類 それも「丸天うどん」を選んでいました。今でもあの味がよみがえってくるようです。本当においしかったです。
■とうとう手術当日が・・・・・・
とうとう手術当日3月19日がやってきました。前日睡眠薬をすすめられましたが 今まで飲んだことがなかったのでお断りしました。緊張で眠れないかな?と思って いたのですがグッスリと眠り気持ちよく目を覚ますことができました。担当の先生から 「昨日は眠れましたか?」と聞かれたので「ハイ!良く眠れました!!」と答えたら 「キモが太いですね!」と言われました。これは誉め言葉なのだろうか?と思いましたが まあそういうことにしておこうと思いました。この日は快晴で朝はウグイスが近くの木に 飛んできて一生懸命ケキョケキョと鳴いていました。なんだか「フレーフレー」と言って くれているようでウレシイ気持ちになりました。こんなに気持ちよく朝を迎えることが できたのだからこの手術はきっと大成功だ!!と自分で妙に納得していました。 いよいよストレッチャーのお迎えが来ました。お部屋のみなさんに「行って来ま〜す」と 挨拶をして手術室へとむかいました。さすがに大病院の手術室だけあってラッシュアワーの 混み具合でした。わ〜すご〜いと思いながら手術室の中へと入りました。 なかなか、こんな光景はお目にかかれないのだからしっかり見学をしておこうとできる限り キョロキョロしていました。そして麻酔が背中から打ち込まれました。あとは深い眠りの 世界へと突入しました・・・・・・・z〜z〜z〜
■ICUにて・・・・・・
13時間にも及ぶ手術が無事終了してICUに運ばれて行く途中に私は目覚めました。 「無事に手術は終了しましたからね!」と先生の声が聞こえて私は大きくうなずきました。 次に気が付いたときはICUの中でした。たぶん熱が相当あったはずで私の中にある 記憶は夢と現実が曖昧なのですがICUはまさに宇宙ステーションでした。 TVで見るICUのように解放的ではなく,中にいる人たちは完全武装とでもいいましょうか出てい 部分は目だけで機械的に黙々と仕事をやっているといった感じでした。口には管が入っていて しゃべることはできないし、体も手も固定されていて全く動くことができません。何か伝えたい 時は目で訴えることしかできません。意識朦朧としていて今何時なのか夜なのか昼なのか 全くわからない状況でした。ひょっとしたらこのままここから出られないのでは?と何度思った ことでしょうか・・・。私はココで俗に言う臨死体験といいますかなんともいえない体験をしました。 目の前にきれいなピンクのフワフワした羽がたくさん出てきて私はそこにたたずんでいました。 向こうの方に明るい光があってとにかく気持ちが良さそうなところなのです。しかしここで私は 「いけないいけない、死んでしまう」と思い、そうするとフーッと元に戻るのです。その後は体が 宙に浮いた感じになりだんだん上に上がっていくような感じでした。ここでもまた「アッ上に 行ったらいけない」と思うとスーと元に戻りました。今でもピンクのきれいな羽を鮮明に覚えて います。不思議なことはあるものなのですね・・・・・・
■一般 病室にて・・・・
相変わらず、うっとうしい管類は付いていましたがすっかり元気になっていました。ただし2週間の 絶食で水も飲むことが出来ませんでした。点滴があるので餓死することはありませんがやはり 何か食べたいし・飲みたいし・・・TVでビールのコマーシャルなど見るとたまりませんでした。 「今に見ていろ!!必ずビール飲んでやる〜」とかたく心に誓っておりました。2週間後にお水を 飲んでよいとお許しが出たときは「やった〜」と大きな声で叫びたい気持ちでした。早速売店で ミネラルウォーターを買って厳かに口の中に含みました。それはもう何とも言えない感動があり ました。お水がこんなにおいしいなんて!!幸せ〜と心から思いました。それからまた数日は おもゆ・お粥となりやっと普通のご飯となりました。私は今まで日本人でありながらご飯(白米)が 好きではありませんでした。ですから1週間に数回しかご飯を口にしていませんでした。しかし このときばかりは、あ〜ご飯がおいしい!としみじみと思いました。物を食べられるだけでも非常に ありがたいことだとしみじみ思いました。もちろん、このころはほんの少し食べるだけで苦しくなって いました。ですからアイスクリーム・ヨーグルト・バナナなどを間食として食べたりで一日何回も 食事をとっていました。体に付いていた管類も少しずつ少なくなり、歩くのも早足でサッサと歩ける ようになっていました。人間の回復力というものは本当に大したものであります。ただ私の体の中 では、食道がなくなって胃が食道代行だと認識が出来ていないようでして胃がまだ胃のつもりで 時々調子が悪くなっていました。腸にしても今まで胃が消化吸収をやっていたのにいきなり腸に 食べ物が押し寄せて来るものでその対応に大わらわのようでした。突然の出来事でとまどって いる我が体でありましたが、こんなにケナゲに頑張っているなんてウッ〜・・・と胸がジ〜ンとして しまうことが何度もありました。そんなこんなで術後1ヶ月ちょっとで退院の運びとなりました。 あまりの順調な快復ぶりで先生も驚いていましたし。家族・親戚は本当に退院していいの?と 非常に心配しているようでした。もちろん当の本人が一番心配でした。退院間近に看護婦さんから 「食べていいもの」「食べてはいけないもの」一覧表をもらいました。じーっと見ていると食べては いけないものだらけでして、食べようとするたびにこの表を出して確認するわけ〜?と怒りに近い ものを感じましたので先生に「絶対に食べてはいけないものだけ教えてください」と言いました。 「わかめとピーナツ類です。」と言われましたのでそれだけを頭にインプットしまして後の食べ物 一覧は見なかったことにしました。そして、多少の不安を残しながら我が家へと戻ったのであります。
■かくして自宅療養がはじまりました・・・・・
ゴールデンウィークが目の前という4月下旬にめでたく退院しました。家に戻ると 我が愛犬達がお出迎えをしてくれて、ア〜家に戻ったんだ〜と感慨にふけって おりました。そこで今日のお昼は何にしようか?と思いまして、そうだ!!大好きな 麺類にしよう!!父に頼んでこれまた大好きなお店で「かけうどん」のお持ち帰りを 買ってきてもらいました。いそいそと準備をしてさ〜食べるぞと麺を口に運びました がこれがなんだか食べにくくてのどのあたりにつまるのです。私のアサハカな考え では麺はスルスルとのどを通 り抜けて行く予定でした。ガッ現実は違っていました。 麺&スープを飲もうものなら喉のあたりで交通 渋滞をおこしてしまい「ウッ!! グルジイ〜」となってしまうのです。私はこの現実に愕然としてしまいました。 「ひょっとして、大好きな麺類が食べられないのでは・・・・・」な・な何ということで しょう、私は3度の白ご飯より3度の麺類というほど麺類大好き人間なのです。 結局この日は買ってきた「かけうどん」一人前の4分の1人前しか食べる事が 出来ませんでした。食べる事の大変さを思い知らせれたわけであります。トホホ しかし、こんなことでがっかりしているわけにはいきません。麺類だけが食べ物 ではないわけですから、それにきっと前みたいに食べられる日だって来るに違い ないし・・・要するに私は食い意地が人一倍あるわけですからその後も色々な物 を悪戦苦闘しながら食べたのはここで語るまでもありません。もちろん食べた後は 大変でした。苦しくなって横にならずにはいられないし、お腹が急に痛くなって 生汗ダラリ状態にはなるし、自分の体を自分で制御出来ない状態がず〜っと 続いたわけです。まさに「未知との遭遇」状態でした。もう一つ大変だったのが 咳でした。手術後すぐから咳が頻繁に出だして少ししゃべるとゴホゴホまた しゃべるとゴホゴホ声も以前のような声が出なくてハスキーボイスでした。 このままこの状態が永遠に続くのだろうか?・・・・不安なときもありましたが 元来のおしゃべり好きで咳が出ようが、おかまいなしにしゃべっていましたら いつのまにか咳も止まり、声も元の美声(?)に戻っていました。また、退院した のが4月下旬季節は梅雨→初夏→夏と移り変わりましたが私の体重はみるみる 減少してきました。退院当初48kgあった体重が夏の頃には38kgまでになって いました。入院時は毎日点滴をしていたわけで体中に栄養が行き渡っていた わけです。しかし自宅だとどうしても食事の摂取量 が少なくなり季節的にも 食欲がなくなる時期でしたので鏡を見るのがいやになるほど痩せていました。 そーなると体力がないわけですからチョットのことですぐにきつくなって ゴロゴロ寝ころんでいました。外出しても少し歩くとすぐに休憩していました。 とくに2001年の夏は異常に暑かったので私にとっては地獄のような日々でした。 それでも、たまに外出して食事をしていましたがやはりど〜しても出てきた物の 3分の1程度しか食べる事ができませんでした。するとお店の方がやってきて 「何かお口にあわなかったのでしょうか?」と質問されます。「体の具合が悪くて」 と言い訳をしなくてはいけないのがだんだんと面倒になり外食するのがわずらわしく なってしまいました。予定では6月頃会社に復帰予定でしたがとても復帰できる 状態ではありませんでした。しか〜しそう言いながらも日々の食事はきちんと とっていました。もちろん食べる量が多いとすぐに苦しくなり「あ〜食べなければ よかった〜」と反省しておりました。それを繰り返しているといつの間にか食事の 量が増えているわけです。気が付くと一人前の半分以上は食べることができて おまけに晩酌のビールもグラス1パイ飲めるようになっていました。体というのは 本当によくできているものです。体力にも自信が出てきたので9月に仕事復帰 することとなりました。めでたしめでたしです。
■久々の仕事です・・・・・・
2001年9月に職場復帰となりました。よくもまあ席があったものだと 会社の方々に感謝しております。以前の仕事は外出が多かったのですが しばらくは内勤のみということにしていただき、これにも感謝感謝の気持ちで いっぱいでした。おまけに今まで着ていた制服がブカブカ(何とスカートサイズ が5号になっていました。これにはほんとうにビックリでした。)なので私服で よいということになりました。至れり尽くせりの仕事復帰でした。食事も朝出社 して軽く1回、お昼に1回、そのあと3時過ぎにもう1回5時過ぎにも軽く食べる こともしばしばです。要するに一日中何か食べているわけです。 仕事は一日パソコンに向かっているので全く重労働ではありません。 しかし、家に帰るとお腹がペコペコで7時過ぎに夕飯を食べて、9時過ぎに もう1回。10時過ぎにティータイム。寝る前に軽くビールなど飲んで・・・・・ 異常なほどの食欲です。もちろん食べ過ぎて唸り続けることもシバシバです。 そーこーしていて気が付けば1回の食事の量 が人並み近くになっていました。 妹曰く「普通の小食の人より多く食べてるような気がする・・・・・・」体重も 40キロ代に突入しました。月に一回の検査も別に異常なし! しかし、アルコールの取りすぎで肝臓が少々弱り気味と注意されてしまい 「アルコールは控えましょう」といわれてしまいました。最初の頃の先生の お話ではアルコール類は「飲みたくなくなる」とのことでした。私はいつに なったら「飲みたくなくなるのだろう」とズーッと待っているのですがいっこうに 「飲みたくなくならない」のであります。それどころかビールに始まり冷酒 梅酒・ワインと結構飲めるようになったのであります。へへへ・・・・・・ 最近は先生もあきらめ気味で「お仕事してるわけですから、気分転換に 少しはアルコール飲んでもいいでしょう!」と言ってくれてます。 体重もず〜と増え続けてるので「太りすぎに注意!!」と言われています。 「術後一年にもならないでこんなに体重が増えるのは非常に順調な快復 です。」と先生が太鼓判を押してくださいました。ヤッタ〜と思いました。 そうこうして職場復帰から6ヶ月がすぎているのであります。
■気がつけば、もうすぐ術後1年です。・・・・・・
気が付けば世間もすっかり春めいております。去年の今頃は・・・・と ふと思うことがあります。去年は病室から満開の桜の花を眺めていました。 温度が一定の病室にいると季節を肌で感じることができませんでした。 花の香り・風の香り・雨の香り・風の音・木が揺れる音すべてがあたりまえで 気にもとめていなかったことですが今はすごく心地よく感じています。 お腹いっぱいになるまで好きな物を食べることが出来ていた頃は 「食べられる」ことのありがたさなどみじんも感じていませんでした。 歩いたり・走ったり・飛んだり・はねたりする当たり前のことが病気をすると 感動に変わることがわかりました。なりより増して私のまわりにいる多くの 人々の存在のありがたさを身にしみて感じることが出来ました。 全くの「あかの他人」である私に対して先生・看護婦さんは一生懸命に 最善の処置をとってくださいました。手術前・手術後どれだけ私の力強い 味方だったでしょうか!また、しょっちゅう訪ねてきて身の回りの世話を してくれた妹。手術前にわざわざ私の好物であるボルシチを作って 鍋に入れて持ってきてくれた義弟。仕事の帰りにわざわざ何度も訪ねて くれた友人。私の為に「心配」と泣いてくれた友人のお母様。遠くにいる叔母 からの励ましの手紙。電車に乗って遠いところから何度も来てくれたいとこ。 痛い足をかばいながらお見舞いに来てくれた叔母。結婚式に参列できな かった私の為に写 真やビデオを届けてくれたいとこ。書いても書いても 書き尽くすことが出来ないほどの励ましと温かい愛情を私はたくさんもらい ました。いままで「人のおかげでわたしがある」など考えることがありません でした。しかし、今回大きな病気をして「この体は私だけのものじゃないんだ」 と思うようになりました。今でも食べることは私にとって大変なことですが 世間にはもっともっと大変な思いをされている方がたくさんいるんだと 思うと元気が出てきます。実際入院して同室の患者さんを見ていると 私よりも大変な病気にもかかわらず明るく前向きで生きることに一生懸命 な方ばかりでした。私は今回の病気でたくさんの事を学ぶことができました。 体中に傷跡がありますが、それを見るたびに気を引き締めて毎日 精一杯頑張って生きていきたいと思います。まだまだこれから何が起こるか 想像できませんが私のまわりの力強い仲間の顔を思い浮かべて 毎日を普通に淡々と過ごすことが出来ればよいと思っています。
■最後に・・・・

私のとりとめもない体験記をつらつらと書きつづりましたが、あくまでも 1人の癌患者としての体験記ですので、皆様にお役に立つかどうかは 定かではありません。少しでも励みになることが出来れば幸いです。

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この体験記は「ある日突然ガンだった」を
HP主幹の了承を得て転写したものです。
http://www.uport.co.jp/misa/index.htm